Jul012025
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A daily life with my favorite music.
Feb182024
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Feb172024
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Feb162024
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Feb162024
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Feb132024
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Jan092023
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Nov162022
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Oct232022
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Oct162022
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Oct142022
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Jul202018
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今月は前半割と忙しめでした。
忙しいと言っても朝が早く夜が遅い日が数日あっただけですが。
友達とご飯に行ったり、ライブに行ったり(撮ったり)程度で活動量的にはあまり多いとは言えない日々を送っています。
---今日はエッシャー展に行ってきました。平面正則分割。版画とは思えない緻密な絵でした。
作品を見たからといってその人物に触れられるわけでも何かを理解できるわけでもないのにわかったような気になってしまうというのは一体何なのでしょうか。絵も音楽も写真もそう、答えは風の中にも作者の中にもない。あったとしてもそれは他の方法で表現できないからそれらの芸術に落とし込まれているのであって、文字で現すことはやはりできないのだろうなと思います。自分の経験や感情、情報なんかから答えを導き出している受け手はいつだって自由だし、同時に身勝手なものなのでしょう。
---私は記憶力がとても乏しいので、最近思うのは、私の記憶は一体どこに保管されているのだろうと。あれ、BUMP OF CHICKENの歌詞じゃないですが、どんな風に日々を大切に生きても僕らは忘れてく。にしても落とす速度と量が尋常じゃないな、と思います。先日、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのライブに行ったのですが、私はアジカンのワンマンを見に行った記憶が全くないのです。でもRe:Re:ツアーのタオルやProject BeefのTシャツなんかを持っていたので行ったことあるんだろうな、、、くらいに思っていました。あとで調べたら2005-2009年までで5回はワンマンを見ているし、イベントなんかを含めたらもっと見ているんです。それなのに見に行った記憶がごっそりない。なんなんでしょう。ライブ終わったあとだって、最近はもう、全然何の曲を演奏したのかそんな記憶すら交錯してわからなくなってしまうんです。覚えていられないというのは、思い出せないということは、まるでごはんを食べ続けているのに空腹がやって来ないみたいな気持ちです。忘れて良いことはもっとたくさんあるのに、覚えていたいことを覚えていられないのは結構堪えるなぁと心底思っています。私が写真を撮っているのは忘れてしまうから。ただそれだけなんだと思います。
誰かが呟いた、忘れてしまった。その声が聞こえたことさえ忘れたの。
May312018
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Mar082018
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今日はバイトみたいな感じだけど自分の仕事をした。写真館じゃないけど、そういうシステムの、子供を沢山撮る仕事。本当はライブばっかり撮りたいけどこれは多分決して遠回りではないと思うから経験としていろんなことが出来る様に、生活の足しになる様に、生計がちゃんと立てられないうちは当面続けて行こうかなと思う。いずれはライブとか音楽のことばっかりで仕事できたらいいけどな。
毎日充実しているわけでもないし、お金ないし(お金ない自覚はない)、足掻いても恋人はできないし、比較するだけ損なのに周りの人と比較して卑屈になるし、つよがりはやめられないし…本当は結構辛いんだけど、なんやかんや日々に生かされています。たまたま。
ここ一年は撮影っていうのもあるけど、高校生だった全盛期ぐらいライブを見に行ってる気がします。いろんなバンドを、音楽を聴いて、懐かしい気持ちになったり、複雑な心境になったり、楽しくなったり、辛くなったりするんだけど、全部を引っ括めてライブハウスを諦めないでよかったなと何となく思います。ライブハウスを諦めるってなんか変な言い方だけど。多分それによって手に入れられなかったものとかは沢山ある気もするんだけど、まぁ。私が今も性懲りも無くライブハウスに通っているということは、“大人”になるのを諦めたみたいな、一生モラトリアムを引きずるみたいな感じだなと思う。この前友達と話していて、周りのみんなはちゃんと、見た目はどうあれ、それなりに“大人”に見えるんだけど、自分だけは見た目も中身も高校生のままというか。隣の芝生は青いってだけかもしれないけど。財力すら自分が思っていた年相応の額じゃないし。ここまできてそれならもういよいよモラトリアムを脱出できないのではないかと考えてしまうのです。大人になれないから此処にいるのか、此処にいるから大人になれないのか。どちらかなんてもう考えても仕様がなくて。もうでもこれ以外自分が認められる自分のアイデンティティがないのかもしれないなとか意味不明なことを考えたり、考えなかったり。
言葉は難しいな。想いなんて言葉にした瞬間安っぽいというか、本当に自分が考えていたことなのかすらわからなくて。想いなんて具現化出来るものではないよなーとか考えてしまう。論理性が足りないから考えがまとまらなくて支離滅裂になってこんなわけのわからない言葉ばかり並べてしまうんだろう。
そう考えると詩人はすごい。意味不明でも自分の中では筋が通っている。気持ちを文章化することに長けていると思う。
今日は撮影のあと、近かったのでずっと行きたかった谷川俊太郎展に行った。本当、筆舌も尽くせないな。言葉はただそこにあるだけだった。でもそれで十分だったんだ。
実のところ私は自分のキャラ?とか見た目とか周りからのイメージと違ってはちゃめちゃに泣き虫だったりする。できれば感動する映画は見たくないし結婚式も葬式も考えるだけで泣いてしますから起こらないで欲しいと願ってしまう。今日思ったのが私は言葉に弱い。言葉>映像>音楽。
音楽で泣くことはほぼない。でも言葉は。
谷川俊太郎展では結構詩を読む度に泣いていた。どう、とはやっぱり表現できないけれどとてもよかったな。たかだか文字が並んでいるだけでなんでこんなに伝わるんだろう。こういう時すぐ音楽の歌詞を引用してしまうんだけど…それをすることにより自分の言葉は借り物ばっかりになってしまうんだけれど)…ほんとうにその通りだからとても不思議だ。本当に言葉、足りないな。
ぼくは泣き出してしまうのさ。
きみの描いた深い
深い世界。
その
深いわけ。
Feb262018
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Feb152018
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かれこれ5億年ぶりにブログを更新してみる。
この個人のブログというのは、日記もそうだけれども、誰に向けて書いているのかが明確でないため毎回文体がまちまちになってしまう。敬語だったりタメ語だったり箇条書きのような、メモのような。其処此処に優柔不断が現れてしまうのでそういう現象が現れてしまうのかもしれない。
そんなこんなで今日は恵比寿LIQUID ROOMにてBIGMAMAのツアー初日に行ってきた。正直BIGMAMAは全然通ってきてないからそんなに詳しくはないのだけれど、後ろから見てるとなんだかいろんなことを思い出してしまった。まるで自分を箱庭の外から見ているような、俯瞰している気持ち。前は結構ライブ行ってたし最前の方でモッシュに埋もれて楽しかったなぁなんてことを考えていた。あの頃はずっとエルレを追いかけていて活動休止してからモッシュに埋もれることも全然なくなっていった。(リキッドルームでエルレ見た記憶ないけど)でもあの頃のあの辺に私はいたんだなぁって思ったら、なんだろ、感慨深いというかなんというか。戻れない自分を懐古しているのか、はたまた自分の老いを実感しているのか。それが良いことなのかどうかはさておき、ライブばっかり行ってたあの頃から5年とか10年とか経ってるけど相変わらず私は音楽を聴いているし、なんなら多分当時よりもライブに行っている気がする。そんなことないか。年間40本は行ってないか。(今数えたら去年はライブ30本ぐらい撮影してたみたいなので普通に見に行ったライブと合わせると40本いってるかもしれないな)10代の時にずっとライブ行きたいなーと緩やかに願っていた願いを知らない間に叶えているようで。でもそれを実現するためにものすごく回りくどいことをしている気もする。まだ全然実現出来てない。もうすこし頑張らないとかなー。
支離が滅裂なのでこの辺でやめる。
また気が向いたら書く。前よりは短いスパンで。
Feb102013
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Nov262012
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Sep292012
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Sep042012
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Sep012012
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Aug292012
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Aug152012
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